01.01 2012年 原発の運命 3 (by samthavasa)
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ジャンシアーヌ レジェの名古屋コーチンひよこプリン「ぴよりん」
(via atsushi0905)
ある原子力産業関連の役員は日本に広くコンタクトがあるが、匿名を条件に次のように語った。
3号機の原子炉容器自体に、側面に長い、縦方向の亀裂が入っている。亀裂は原子炉の水位よりも下まではいっており、そこから液体とガスが漏洩している。
この役員によると、怪我をした作業員の放射線やけどのひどさは、損傷した燃料棒に接触していた水の汚染と合致するものだ、ということだ。
「確かに、はっきりとした亀裂が入っている。上から下まで、大きな亀裂だ」、と彼は言う。「亀裂が問題なのは、いったん入ったら小さくなることはない、ということだ」
作業員が負傷したタービン建屋-原子炉建屋に隣接した別の建屋-の地下に溜まっている水の汚染は、冷却ポンプなどの機器を復旧する作業に大変な妨げとなる。
「水をどうやって排出するかすら見当がつかないのだ。水の放射能が余りに高い」。3号機の心配はMOX燃料だ。
原子力業界はMOX燃料のリークに対処した経験がなく、原発からの放射能拡散のパターンが普通でない(異常)なのはMOX燃料のせいもあるのかもしれない、と彼は言う。
(via yaruo)
(via アスファルト上|消えない夜さんのぶろぐ)
(via アスファルト上|消えない夜さんのぶろぐ)
まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。
私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。
その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。
しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。
それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。
私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。
そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。
「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。
いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。
国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。 東京新聞:渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文(TOKYO Web)
948 名前:地震雷火事名無し(WiMAX) [sage] :2012/01/24(火) 10:29:04.30 ID:STvBe4X30
(宮台氏)あのね、僕、弟がいわき市にいたので、今は引っ越しちゃってるけど、いわき市の情報がある程度入ってくるんですが、やはり収束宣言をして以降ね、
人がやっぱり戻るっていう動きがものすごく加速していて、実は昨年の段階では、不動産はマンションとか賃貸とか、結構がら空き状態だったんですけど、今は、これ開沼博さんもおっしゃってるね、
どこも満員御礼のお札が出ていて、空きがありませんみたいになっちゃって、どんどん人が戻っちゃってる。
323 名前:地震雷火事名無し(北海道) :2012/01/23(月) 13:26:17.05 ID:e/jCcefY0
387: 本当にあった怖い名無し [] 2012/01/23(月) 01:23:38.90 ID:8bwuQOLY0
私からも一言。
都内の国立病院勤務のなんですが、
先週病院に対してに対して国から地震に備えるよう備蓄の管理や予備電源のチェックをしろと通達がありました。
また、東京を離れないようにという指示も含まれていました。
3.11の際は何も指導は無かったし、今までもこんな指導は無かったので職員の間では何かあるんじゃないかという噂です。
56 :M7.74(関西・東海):2012/01/23(月) 11:23:21.42 ID:qokk9DW60
52の続き
388: 387 [] 2012/01/23(月) 01:28:16.07 ID:8bwuQOLY0
ちなみに東京で地震にあった際は、各指定地域の災害指定病院に避難される事をお勧めします。
こちらは非常電源施設と食料備蓄が、通常の病院よりも多く、耐震強度も非常に高いです。
付近の災害指定病院はチェックしておいた方が良いと思います。




